勘亭流とは

歌舞伎とともに歩んできた勘亭流

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歌舞伎座 東京中央区銀座
公式ホームページ


勘亭流は歌舞伎の看板や番付などに使われる独特な書体で、創始は江戸時代中期、日本橋堺町に住む御家流*指南・岡崎屋勘六 (1746~1805) が、安永8年 (1779) 当時同町にあった中村座の九代目中村勘三郎丈の依頼に応じ、御家流に独特な工夫を加えて新春狂言「御贔屓年々曽我(ごひいきねんねんそが)」の看板を書いたのが始まりで、”勘亭”と署名したことから「勘亭流」と呼ばれるようになった。

以前から書かれていた浄瑠璃正本や歌舞伎台帳・番付から更に洗練された文字として江戸歌舞伎の発展とかかわりが深い。歌舞伎は、江戸・上方とともに元禄期に演劇として完成をみ、それぞれの個性を確立していったが、このころから表れる江戸歌舞伎の特色のひとつに「家」による芸の伝承が尊重される。「荒事」の象徴 市川団十郎をはじめとする俳優の世襲化は元禄からはじまるが、やや遅れて宝暦ごろから舞踊・浄瑠璃・長唄など歌舞伎に関連する芸能にも同様の動きがあらわれ、各流派に基づく家元制が成立するに至った。

 

芝居の看板には鳥居派の絵が採用され、芝居文字として勘亭流が生み出されたのもこのころで、享保末から宝暦・明和・天明そして寛政期は、江戸歌舞伎が演技だけでなく劇の構成法をはじめ、大道具の技法・音楽・劇場施設など統合的に充実し、上方をしのいで歌舞伎中心になっていく繁栄の時代で、勘亭流も上方の東吉流に対して江戸の歌舞伎を主張する文字としての役割を担い定着していった。

 

勘亭流文字の特色は、歌舞伎の舞を発想し柔らかな姿態。音律、縁起を願う心を踏まえ、御家流に一風加味した書風で(肉太・丸みを帯び・内に入る)時に応じ、また物に応じ書き方もやや異なり、看板や番付の大名題などは横長で平たく、しかも一文字一文字にほとんど白い部分が無いほどに肉太に書く。客席に隙間が無いほどの大入りを願うこころで、よほど熟知した者でないと解らないくらい極端に装飾された文字である。

 

今日では、保坂光亭師(1907~1997)が文字と文字との間隔を毛筋一本はなして読みやすく配慮されているが、隙間が僅かな字面には変わりない。また一般書道とは異なり、姿・形を作るため重ね書き等 【補筆】をして丹念に文字を仕上げてゆく。

 


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