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tradition
伝承
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  2003/07/21


   
 (故)保坂 光亭 師

昭和54年(1979)
台東区優秀技能者 表彰

昭和62年(1987)
東京都優秀技能者 表彰

平成元年(1989)
台東区無形文化財 指定 

   

勘亭流は世襲のものではなく、その時々の能書家が勘亭流を称してきた。勘亭流を書く人は幅広く居るが近年ではその頂点に立つのが竹柴蟹助氏(1904〜1989 主に国立劇場に関するものを手がける)と保坂光亭 師(1907〜1997)で、光亭は日本橋蛎殻町で絵双紙・絵本番付の版元(梅の家)を営んでいた祖父 芳兵衛・鳥居派の絵を学んで清種の号を融資、明治〜大正期に活躍した勘亭流書家石井三礼に師事した 父 庄吉の元に浅草千束町で生まれた。父は絵双紙やのかたわら宮戸座などの絵看板もかいた。後には絵看板の仕事が主になり、大正12年ごろ「梅の家」は廃業。

 光亭(芳夫)師は、12,3才ごろから父の仕事を手伝いながら勘亭流の手ほどきをうけ手本は父の師である石井三礼の書を用いた。光亭の号は父がつけたもので、書のほかに清秋の号を持つ鳥居派の絵師でもあり父に代わって本格的に仕事をはじめた。後、戦争に収集され、昭和21年帰還後再び仕事を再開したが、戦後派絵看板を出す芝居小屋もすくなく、書が仕事の中心となった。主に歌舞伎座の番付を手がけていた。が、次第に全国に及ぶ歌舞伎上演劇場からの以来を受け、半世紀に亘り揮毫を続け勘亭流にその生涯をかけた。

 従来 文字と文字がほとんど接するほど肉太に書かれていて読み取れない面があったが、光亭師はこれを毛筋一本の隙間を空け、読める勘亭流を作り上げた。後、昭和49年一般を対象とした「勘亭流書道研究会」を開き後継者の育成に力を注いだ。



 
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